パニック障害と私② ~学校生活編~

前回の「パニック障害と私①」では、初めて発作が起きた時のことを書きました。

今回は、パニック障害になってから大きく変わってしまった学生生活の実体験を紹介します。

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「パニック障害」発症後の学校生活

私がパニック障害を発症したのは高校三年生の5月です。

それまでは、みんなと変わらない学校生活を送っていました。

ですが、パニック障害になってからは、今まで通りに過ごすことはできませんでした。

まず、パニック障害の症状としてあげられる「予期不安」

この「予期不安」によって学校に行くことができなくなりました。

予期不安というのは簡単にいうと、「発作が起こったらどうしよう?」と思ってしまうことです。

学校には、たくさんの生徒がいて、そんなみんなの前で発作が起こったら恥ずかしいですよね。

更に、自分がパニック障害だと気づかれてしまうことがとっても嫌でした。

ただでさえ、人混みに行くことが嫌になってしまう「パニック障害」。

学校に行く第一歩が踏み出すことが難しかったです。

皆さん、ここで中学までとは違い高校ならではの問題がでてきます。

それは「単位」ですよね。

「単位」が足りないと卒業することができません。

その時の私はそんなことを考える余裕もなく「学校を辞めるしかない。」とまで思っていました。

通信の学校を調べたり、お金はどれくらいかかるんだろうと調べる毎日。

せっかく、高校3年生まで来たのに、悔しくて仕方なかったです。

ですが!そんなとき、私に救世主が現れました!

私を救ってくれたのは中学、高校と同じ学校の友達です。

自分の家から学校まで行くのに、私の家は、彼にとって逆方向です。

それなのに朝、家まで来てくれて、「一緒に学校行こう!」と呼びに来てくれるんです。

準備もしていない私を、「家の前で待ってるから~!」と待っててくれるんです。

その友達には「自分はパニック障害なんだ」とすぐに打ち明けることができました。

その友達は「だから何だよ!お前はお前だろ!一緒に卒業するぞ!」と言ってくれました。

彼がいなかったら、私は絶対に高校卒業することができなかったです。

裏切られるばかりだった私の心に「友達って大切だな」と思うことができた瞬間です。

今でも、とっても感謝しています。

そして、彼のおかげで学校に行けるようになったものの、、、

ある日は、朝から学校が終わる16時くらいまで永遠に泣いていたり。

朝から学校に行けたとして、教室に行くことができず、ずっと保健室にいてそのまま帰ったり。

授業中、突然発作の予兆が訪れ、「保健室行ってきます」と何度も授業を抜けていました。

周りからみたらただの「さぼり」にしか見えなかったと思います。

仲良くしていたクラスの友達も、泣き続ける私に心配の欠片もなく、めんどくさそうでした。

そんな私が、勿論単位を取れるわけもなく、「卒業不可」なところまでいってしまいました。

ですが、先生たちに「診断書があればなんとかなるかもしれない」と言われました。

言われるがまま、精神科の先生に「学校側から診断書が欲しいと言われた。」というとムッとしていました。

そして、私は診断書を学校に持って行きました。

ですが、意味の分からないことに、診断書だけでは信用できないから通院している病院についていくと言われました。

私、親、担任、学年主任、保健室の先生と5人で自分の通っている精神科に行ったんです。

その時の、精神科でお世話になっていた先生の怒った顔が今でも忘れられません(笑)

「こういうことをするから、余計に悪化するんです」「なぜこの子を信用しないんですか?」

と、私が思っていることを代弁してくれて、「ざまあみろ~」と思いましたね。(笑)

その日を境に、先生たちの態度は変わり、とても私に優しくなりました。

そして、みんなよりも各教科「4単位」多くもらえることになりましたよ!

あくまでも、私の学校の場合は。ですが、卒業をあきらめる前に色々な先生に相談してみてください。

力になってくれるひとは、必ずいるし、「パニック障害」であることは恥ずかしいことではありません。

私が一番の問題だと思うのは、周りの人間の「パニック障害」に対する気持ちの冷め具合なんですよ!

なった人にしか分からないっていうのは、それはそうなんです!

でも!少しだけでいいから、寄り添ってほしい!

なんの予兆もなく発作がくることもあります。

私も移動教室に遅れて行ったとき、突然の発作に廊下で倒れこみました。

そんな時、「何でわかってもらえないんだろう」「私ってひとりぼっちなんだな」

としか考えられず、生きていることが嫌になることもありました。

当時付き合っていた彼氏には、まるで私が「パニック障害」を演じているかのように

「別に俺だって、精神科に行ってお前と同じ症状を先生に伝えれば、パニック障害の診断書もらえるし」と言われました。

「世の中ってこんなに冷たいんだな」ってすごく悲しかったです。

だからこそ、中学、高校と同じで家まで迎えにきてくれる友達は神様のようでした。

「パニック障害」のまま、普通の学校生活を送ることは難しいかもしれません。

でも、私が助けられた友達のように、分かってくれる人は必ずいます!

冷たい目で見てきてた人は、大人になった今、絡んでいないです。

自分にとっては大事な人かもしれないけど、相手からしたらそんなもんなんですよ。

そんな人を相手に、落ち込んでいる時間が勿体ない!

今思えば、そんな冷たい人たちと、あの頃に縁を切っておけばよかった。と思うまでですよ(笑)

ちなみに、私はたくさんの人の支えもあり、みんなと同じ日に高校を卒業することができました!

勿論、単位が足りない分、ペナルティはありました。

皆が学校に行かなくてもいい期間に、ひとりだけ学校にいって授業を受けにいったり、副校長と面談をしたり・・・

私ひとりだけのために、何人もの先生たちが時間を使ってくれました。

「頑張れ!」とたくさん声をかけてもらいました。

高校卒業を諦めずに達成できたことは、今でも自分の自信に繋がっています。

「あの時、あんなに頑張れたから、こんなこと乗り越えるの簡単!」って感じです(笑)

いつか、そうやって、笑い話にできる日が絶対に来ます。

大丈夫です。今頑張っている分、必ず幸せになれる!

一緒に頑張りましょう

まとめ

今回は、実際に私が経験した「パニック障害と闘いながらの学校生活」をご紹介しました。

誰かの背中を押せるような記事になっていたら幸いです!

これからも「パニック障害」の記事は書き続けます。

宜しくお願いします!

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